事務所を こじらせて

いつかの日が来た

この日が来るとは思っていた。自担は何よりも自由が似合う人だ。ただ、それが今日だとは夢にも思っていなかった。

 

 

自担はアイドルらしくないアイドルだった。力の抜けた佇まいで、やる気がないように見えたりする。でも実際は、人に見えないところでとてつもない努力を重ねる人だった。そうして結果を残してきた。きっとその姿に、たくさんの人が魅了されたのだと思う。私もその一人だった。

 


自担は脱退を望んだ。しかし自分よりも嵐を優先した自担は、自担がいつ帰って来るか分からなくとも、帰る場所を残しての事実上「無期限の活動停止」選んだ。

 


それを聞いたとき、

 

怖かった。

自担が憎まれることが。

 

同時に安心もした。

嵐の不敗神話が終わることが。

 

 

 

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自担が誰に憎まれるのか。それは自担のことを「無責任だと思う人」にだ。

自担と呼ぶからには、自担は最愛だ。だから私には自担を無責任だとは微塵も思えない。だが、無責任だと思う人はいるだろうと、あの公式で上げられた報告動画を見て思った。

 


「自担が辞めると言いださなければ、嵐は休止をしなかった」

 


謝っている自担を見て、恐らくはそう思う人に向けて言葉を発したのだろうなと思った。見えない数の相手を想定しながら長い言葉を紡いでいた自担に息ができないほど苦しくなった。だから、会見で記者から「休止をすることは無責任と思う人もいるのでは」と質問があった時、やっぱり来たかと思った。

 

 

 

悪者に見えたら、我々の責任です。

無責任かどうかはこれから判断してほしい。

 

 

 

メンバー4人からの言葉には、自担の言葉より泣いた。大前提として、これは自担の決断ではなく、5人の総意だと何度も繰り返してた。自担の謝罪をかき消すように感じて、心底救われた。

 


普段であれば、そして自担でなければ、あの質問に対して、今までの功労に対して何たる失礼な質問だと憤ったはずだ。でもあの時はそう思えなかった。自担が傷ついてるんじゃないか、としか考えられなかった。それくらい頭が回ってなかった。

 

 

 

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休止に安心した、と思う人は意外と多いかもしれない。

 


栄枯盛衰。

時代に生きる存在は、時代と共に去る。「国民的」アイドルが「国民的」でなくなる瞬間がいつか来る。それは抗いようのないことだと分かっていた。もしその時が来るなら、綺麗な幕引きであってほしかった。でも、綺麗な幕引きが想像できなかった。さっさと楽になる方法もあったけど、担当を降りられもしなかった。

 

決して嬉しいわけじゃない。

けれど。一度、自らその座を降りることに安堵したところもあったりする。

 

 

 

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自担は自由になりたいと言っていたけど、自由になったら何をしたいのかを答えられなかった姿が忘れられない。

 


目の前のことに一生懸命になる人だ。上手く手を抜いて、楽になることができない人だ。嵐でなくなった時のことを考えられない自担は、私がずっと見てきた自担だった。その上手に生きない姿を好きになったのだと思い出した。

 


 

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脱退ではなく、休止であったこと。

自担にとっては不本意だったかもしれない。嵐で居続けることは、自担の望む「自由」の枷になるだろう。それでも、本当に申し訳ないけれど、脱退でなくて良かった。もう自由ではない場所に戻ってこなくとも良いから、枷だけは外さないで欲しかった。

 

理由は、私が好きだったものを自担にも好きでい続けてほしいから。今は無理でも、未来では。自由になった自担が、自由を理解した時に嵐が好きだと思ってほしい。そして、それを思ったときにそれは過去の栄光ではなく、いつでも帰れる居場所であってほしい。枷がもしもの未来で絆に変われば良い。

エゴだ。

 

 


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自由が誰にも邪魔をされないことを祈っている。けれど、きっと今生じゃ無理な気もしている。

 

自担の言う【自由な生活】は「明日以降やらなきゃいけないことがない」ことの他に、「アイドルでなくなること」「世間から距離を置くこと」ではないかと思う。

 


10年じゃ足りない、恐ろしいくらいの長い時間が経たないと、世間は自担のことを忘れられないだろう。それに自担は愛されやすい人だから、きっと安易に見知らぬ人から声をかけられたりして、望む自由は得られないかもしれない。

 


だから、その不自由が、不自由を凌駕するほどの特別な経験に繋がってほしい。

 

例えば、魚釣りをしていたら地元の漁師に出会い、漁師しか知り得ない穴場の漁場に連れられて、普段は釣果のよろしくない自担もそこでは大物を大量に釣り上げられたり。

絵画を鑑賞していたら、そこの画商に声を掛けられて、一般未公開の名画を見ることができたり。


顔が知られていること、完璧な自由ではないことが、絶望にならないことを望んでいる。

 


自担は多分、アイドルでなくとも生きていける。きっと未練もない。そこについては心配はない。


大野担としてできることは、いつか帰って来るまでファンとして待ち続けることと同時に、もしもどこかで出会ってしまったとしても、自担のことを一切知らないフリをして接することだろうか。身を切るほどの切なさでも、自担がそれを望むなら、それを叶えたい。

 

 


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この日が来るまでファンに何一つそんな素振りを見せないところ、嘘がつけない性格のくせにしっかりアイドルでいてくれたことに矜持を見た。

 


自担が今まで歩んできた道を後悔していないと表明した11月。嬉しくて死ぬかと思った。この言葉を受けて、勝手に未来まで描いてしまって本当に申し訳ない。

 


記者会見で、仕事に疲れたのか?と聞かれて、そうじゃないって答えたこと。

普段のキャラだったら疲れましたってふざけてくれそうだのに、真面目な顔して答えていて、もう不自由には戻らない意思表示に見えたりもした。

 

 

 

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走馬灯が回る数日だった。

思い返せば、本当にとても良い自担だった。

 


いつ知ったかは覚えてない。

好きになる前からずっとアイドルをしていた自担を知っていた。

治安の悪そうな見た目に、タレ目のギャップはなかなかに印象的だった。

受け答えのたどたどしさは、年下の私も心配するほどだった。

興味はなかったが、テレビでたくさん見かけるようになった。

全員の名前は知らないけど、5人が嵐という名前なのは知っていた。

 


それからだいぶ時間が経って、自担に落ちた。

しんどい時期に、自担の泣き顔を見て落ちた。

これほど胸を締め付ける泣き顔をする人を見たのは初めてだった。

 


他の推しに夢中になるときもあるけれど、

姿を見る度に目を奪われてしまったから、

一生これが続くのかと笑ってしまった。

 


自担にはたくさんのものを与えてもらった。

 


自担を自担と呼べたこと、

自担の団扇を持ってコンサートに行ったこと、

初めて見た生身の踊る自担が小さいこと、

自担のおかげでオタクに会えたこと、

遠征きっかけでいろいろな場所で美味しいものを食べたこと、

遠征先の公共機関や料理店のスタッフにファンすら歓迎されていたこと、

夜の冠番組のために日中どうにか生きられること、

死ぬほど憂鬱な朝にラジオで声を聞くと家を出られること、

他人の人生を演じる姿は憑依の域なこと、

絵を見ることが楽しいこと、

辛いことを辛いと表情に出す自担のおかげで自分も頑張れたこと、

どこまでも通る歌声に息すら出来なくなること、

たまに見せるギャップに己の性癖を思い出させてくれたこと、

28歳のときの顔が死ぬほど好みだったが、歳を重ねても変わらず好みであり続けられること、

昔の弱音を恐れず話すのは大事なこと、

全てが顔に出ることが愛しいこと、

甘いもの食べる男性が可愛いこと、

子供みたいな顔して泣けること、

 


言ってた通り、1人でも欠けるのならば嵐は嵐でないこと。

 


一緒の時代を生きてくれたから、私の人生の節目には自担の姿があった。

だから2021年以降にその姿が見えないとしても、この世界のどこかで自由を満喫する自担が存在しうるのならば、この先もその人生が続くと思いたい。

決してロスだとは思わない。

 

 

 

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嵐に出会ってから、自担に出会ってから、世界が変わって見えた。

そう思ってる人がどれくらいいるだろうか。

 


5人が決意を明らかにした翌日、放心して何も手につかない人がたくさんいただろう。

周囲に好きだと公言していた人は、きっと学校や職場でこの件について尋ねられたり心配されたりしただろう。

メディアを嫌悪して外野との接触を避けた人もこの時代は多くいるのではないだろうか。

 


それは、それだけの人の生き甲斐になってきた証だ。それなら、今度はそれだけの人たちが自担に自由を授けてくれるといい。

 

 

 

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この先ずっと、

自担の自由を1番に願ってる。

この先戻ってこなくとも、

戻ってきてくれたとしても、

どちらでも

変わらずにファンでいたい。

 


あと2年。

許された時間の中で、

5人を最大限に応援して、

 

自由を満喫する自担の

最後の夢のような景色に

一切の曇りがないよう

笑って見送るつもりだ。